誕生ストーリー

神楽坂で医師がヨーグルトをつくる理由。

神グルト誕生ストーリー

始まりは自分のためでした

「自分のために最高のヨーグルトを。それが始まりでした」。大学病院時代、林は医療安全担当副院長に就任し、多くの医療事故の対応に当たりました。マスコミや厳しい世論と対峙することのストレスは筆舌に尽くしがたく、体調を崩して重度の便秘を患ってしまいましたが、その時自分の腸内を改善したい一心で開発に取り組んだのがヨーグルトでした。医師として長年培った消化器系の知識と経験を生かし、自宅の一室をラボに改装して約2年間研究に没頭し、美味しくて力強いヨーグルトを開発しました。これが神グルトの原点です。

ヘルスリテラシーを高める活動の先で

あくまでも自らの身体を整えるためにつくったもの。家族や親しい友人に分けて、喜んでもらえれば十分だ。そう考えていた林でしたが、ある日このヨーグルトの製造販売会社の設立を決意します。その背景には医師として向き合ってきた、がんという病気の存在がありました。林が医療の道を志すようになったのは少年時代のこと。大好きだった父親を彼から奪った、がんを撲滅するためでした。大学を卒業した林は食道がんの外科医として国内トップクラスの症例数を手掛けることに。その後は抗がん剤治療や緩和ケアを専門とするがん専門医となり、大学病院のがんセンター長にもなりました。

キャリアを重ねる中で林が痛感したのは、まず患者や家族はもちろん、社会全体ががんに対する正しい知識を持つ必要があるということ。国民には死に至る病気であるという漠然とした考えだけが横行する一方で、がん検診を蔑ろにするような、ヘルスリテラシーの不十分な人々が少なくなかったからです。さまざまな場所で講演を行い、さらには教員免許を取得して全国の学校で子どもたちにがんの授業をして、保健教育の改革にも乗り出しました。

文部科学省ががん教育に本腰を入れ始め、啓発活動が一定の成果を上げるようになると、次に林はがん患者の就労支援活動に動き出します。
がんは約65%が治る病気にも関わらず、社会全体の理解不足から、勤務者ががんになったら3人に1人が失職しているという現実を変えなければならないと考えたからです。

厚生労働省のプロジェクトで、がんの予防やがん検診に理解ある企業を増やすための活動を続けるうちに思いついたのが、起業でした。十分な能力がありながらも体力的な問題や通院のためになかなか就業できないがん患者を数多く見ているうちに、労働環境の構造的な問題に気づきました。少子高齢化・労働力不足が叫ばれつつも、闘病中の方はもちろん、子育てや介護中の方々が働けるような職場がほとんどないのです。そこで林は自ら起業をして、このような社会的弱者を直接支援し、社会的なアピールにつなげようと決心しました。

都心にありながら、いにしえより乳牛で栄えたという牛込の地での起業にこだわり、個人では不可能と言われた乳製品製造業の認可を独力で取得。自分のために生み出されたヨーグルトは、こうして多くの人のためのヨーグルトに生まれ変わり、「神グルト」として広く知られるようになったのです。